TOKIO好きのふわり徒然日記。かけがえのない足跡と共に刻む未来を。
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あさイチプレミアムトーク、Astudio、スーパーモーニング、熱血!!ホンキ応援団、孤高のメスのメイキングという怒涛の堤さん祭りも一段落。まとめて自分が思った感想を。
家でやってる癒やし的なモノ…苔玉と盆栽って!!なんとおじいちゃん的な…(笑)生活の中に緑を求めすぎでしょ(笑)散歩したり自然の中でいることを彼は求めてるのかも。趣味のカメラで写真を撮りながらゆっくり歩くことに癒されてるみたいですね。
あと結婚願望についてもちらり(笑)前は仕事優先で台詞覚える為に無理だと思ってたし余裕が無かったけど、最近は結婚願望あると。家族は大切だなと思うとしみじみ。一人暮らしじゃなく家族が出来たら今よりもいろいろ制約があるかもしれないけれどイライラせずに笑えるようになりたいと言ってたのが印象的でした(*´∀`*)
映画の孤高のメスの当麻先生が背中を見せていく父親像のような人だからか、前よりもよくお父さんの事を話してくれていて、とても新鮮でした。堤さんも、ちゃんと向き合い、心で整理しながら言葉を選んでいて、私も見ながら素直に受け止めていました。私も高3の時にオカンが病気で倒れて少しの間、入院してた事があるんだけど、子供の時からずっと手放しで応援しサポートしてくれたオカンが側にいなくなって、それとは逆に音楽をしたい自分をずっと反対していた父親との葛藤が結構あったから、かなり家に帰っても正直辛かったし、どう向き合えばいいのか解らなかった。でも今、思えばちゃんと向き合う為に用意してくれた大切な時間だったのかなぁと思う。今なら、私の将来を心配してくれたからこその不器用な父なりの言葉だったんだと思えるし。私も二十歳の時に母方のおじいちゃんを癌で亡くしてるから、堤さんの話を聞いてて凄く感慨深かった。偶然にも同じ歳の時だったんだって。僕らの時代のトークで知ってたはずなのに改めて、はっとしました。オカンとそっくりなおじいちゃんが入院してた頃、私はどう向き合っていいかわからず、毎日お見舞いに行くオカンを見送るだけだったんだけど、やっぱり病院に行かなかった事に少し後悔してるかな。ただ成人式の振り袖姿をちゃんと見せられた事と一緒に写真を撮って喜んでもらえた事は救いなんだけどね。白く立ち上る煙を見ながらああ、こうやって人は最後を迎えていくんだって漠然と思って、自然と世界観が変わった瞬間でした。あの時も抑えきれずに泣いて泣いて心の中にあったなにもかも空っぽになっていたけれど、もしあの時、堤さんのように、分かり合えず葛藤したまま、お父さんがいなくなってしまったらと思うと胸がつまって何も言えなくなるんだろうなぁと。でもきっと今でもお父さんは側にいて見守ってくれているんだろうなぁと、今の堤さん見てると思うのです。
役者という仕事をしていく上で、精神的にギリギリまで自分を追い詰めてその役に浸透させようとしていく人だから、大変な事が多いし、光のあたる人には必ず影があるものだという思いもあり薄々気づいてたけれど、あそこまで心の奥で苦悩していたなんて…彼の素の涙に、胸が痛くなりました。今でも半分は苦痛だって言ってたけれど、少しずつ仕事と折り合いをつけて、今生きている彼をちゃんと見届けていきたいと思いました。辛くなった時に本音が言える親友が彼の側にいてくれて本当に良かったなぁと。いろんな人達に支えられて彼がいるんだなと。私が生まれた87年から俳優さんになった堤さんになにかしら縁を感じてしまうし、こういう形で彼に出会えた事に感謝しなきゃですね(*´∀`*)
家でやってる癒やし的なモノ…苔玉と盆栽って!!なんとおじいちゃん的な…(笑)生活の中に緑を求めすぎでしょ(笑)散歩したり自然の中でいることを彼は求めてるのかも。趣味のカメラで写真を撮りながらゆっくり歩くことに癒されてるみたいですね。
あと結婚願望についてもちらり(笑)前は仕事優先で台詞覚える為に無理だと思ってたし余裕が無かったけど、最近は結婚願望あると。家族は大切だなと思うとしみじみ。一人暮らしじゃなく家族が出来たら今よりもいろいろ制約があるかもしれないけれどイライラせずに笑えるようになりたいと言ってたのが印象的でした(*´∀`*)
映画の孤高のメスの当麻先生が背中を見せていく父親像のような人だからか、前よりもよくお父さんの事を話してくれていて、とても新鮮でした。堤さんも、ちゃんと向き合い、心で整理しながら言葉を選んでいて、私も見ながら素直に受け止めていました。私も高3の時にオカンが病気で倒れて少しの間、入院してた事があるんだけど、子供の時からずっと手放しで応援しサポートしてくれたオカンが側にいなくなって、それとは逆に音楽をしたい自分をずっと反対していた父親との葛藤が結構あったから、かなり家に帰っても正直辛かったし、どう向き合えばいいのか解らなかった。でも今、思えばちゃんと向き合う為に用意してくれた大切な時間だったのかなぁと思う。今なら、私の将来を心配してくれたからこその不器用な父なりの言葉だったんだと思えるし。私も二十歳の時に母方のおじいちゃんを癌で亡くしてるから、堤さんの話を聞いてて凄く感慨深かった。偶然にも同じ歳の時だったんだって。僕らの時代のトークで知ってたはずなのに改めて、はっとしました。オカンとそっくりなおじいちゃんが入院してた頃、私はどう向き合っていいかわからず、毎日お見舞いに行くオカンを見送るだけだったんだけど、やっぱり病院に行かなかった事に少し後悔してるかな。ただ成人式の振り袖姿をちゃんと見せられた事と一緒に写真を撮って喜んでもらえた事は救いなんだけどね。白く立ち上る煙を見ながらああ、こうやって人は最後を迎えていくんだって漠然と思って、自然と世界観が変わった瞬間でした。あの時も抑えきれずに泣いて泣いて心の中にあったなにもかも空っぽになっていたけれど、もしあの時、堤さんのように、分かり合えず葛藤したまま、お父さんがいなくなってしまったらと思うと胸がつまって何も言えなくなるんだろうなぁと。でもきっと今でもお父さんは側にいて見守ってくれているんだろうなぁと、今の堤さん見てると思うのです。
役者という仕事をしていく上で、精神的にギリギリまで自分を追い詰めてその役に浸透させようとしていく人だから、大変な事が多いし、光のあたる人には必ず影があるものだという思いもあり薄々気づいてたけれど、あそこまで心の奥で苦悩していたなんて…彼の素の涙に、胸が痛くなりました。今でも半分は苦痛だって言ってたけれど、少しずつ仕事と折り合いをつけて、今生きている彼をちゃんと見届けていきたいと思いました。辛くなった時に本音が言える親友が彼の側にいてくれて本当に良かったなぁと。いろんな人達に支えられて彼がいるんだなと。私が生まれた87年から俳優さんになった堤さんになにかしら縁を感じてしまうし、こういう形で彼に出会えた事に感謝しなきゃですね(*´∀`*)
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プロフィール
HN:
真琉
年齢:
37
HP:
性別:
女性
誕生日:
1987/10/03
職業:
音楽講師+某書店員
趣味:
音楽・ドラマ・映画鑑賞
自己紹介:
EP鍵盤弾き&少々ドラマー。
TOKIO兄さん、まぼ茂好き。
役者さんが好きで、堤真一さんと堺雅人さんの出演作品を良く観る傾向有り笑。
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